医水民の日常

横浜市立大学医学部水泳部のブログです。

One last time

今年の6年生リレーは3人でということで、アンカーとなります。医学科6年 小林卓雄、趣味はフットボール観戦です。
僕の応援しているバルセロナというクラブでは一昨季、クラブで17年に渡って活躍し、スペイン代表を支え、ひいては世界のサッカーに影響を与えたシャビという選手がチームを離れるという出来事がありました。
人ってなァ年をとるもんですね。豊田さんの卒業とともに医水最年長となってしまった僕も、自分をシャビと重ねようなんて大それたものではないですが、この横市医水というチームでの最後の時期に来ています。3年半の現役生活を経て、その後の2年間のアディショナルタイムも終わりつつあります。


僕の水泳歴は地味に短くなく、幼稚園の終わり頃からスイミングスクールで水泳を習っていたような気がします。その時の4年半、高校水泳部での1年半、大学での5年半を合わせれば足かけ12年ですから、僕の半生はみずべのいきものとして過ぎてきたと言えます。
スイミングスクールでは、小学生ながら「コースが上がると練習がきつくなるだろうから」という理由で昇級試験の時に手を抜いて泳ぐという知略に長けた生徒だったため、記録を目指して泳ぎ込むというのではなく、「選手コースの人がシリコンキャップに水をためてからザバーッてかぶる」のにあこがれたり、口に含んだ水を真上に噴射したら自分の顔にかかって先生に呆れられたり、みんなが持ってたタオルキャップ(ふにゃふにゃのクリスマスパーティー帽みたいなやつ)をねだって買ってもらって、嬉しくて帰りのバスでかぶって帰ったりしながら、楽しく泳いでいました。
中学のときはリコーダー部でした(なかなか信じてもらえない)。ギターを取り入れたいからと入部を請われ、入ってみるとリコーダーも吹いてねとなかば事後承諾でリコーダーも吹いていました。

ですからちゃんと水泳に取り組んだのは高校からということになりますが、世の無情から1年浪人し、医水に入ったときにはなけなしの泳力も衰えてしまっていました。そんなわけで、今でこそリレーはAチームに入っていますが、入部直後は今の1年生と同じように1コースで主将の指導を受けていたのです。まあ泳げたのですぐに2コースに上がりましたが、4月の医科歯科戦では50mFrの記録は34”48だったようです。そう考えると人ってなァ成長するもんだなと思いますよね。僕は一時期6コースで練習していたこともあったので、大所帯と化しつつある医水といえど、この中で1コースから6コースまで練習したことがあるのは僕ぐらいなもんでしょう。我ながらよく、駆け回ってきたと思います。

2年前に現役を引退してからも、特に止める理由もなかったので共用試験前を除いてずっと来続けていました。来なくてもいいのに進んで来るわけだから、これまで以上に自律的にやるということと、部活のために何かできることを探すということを自分に課して、high意識部員としてやってきたわけです笑。
とはいえ、部活のことを考えるのは幹部の時にたくさんやったしなぁというのもあって、その次の1年間はわりと自分個人の目標やなんかを優先させたような気がします。
そして今、最後の夏を迎えるところまで来ました。東医体では4年生の時と同じ100mFrと800mFr、3つのリレーを泳ぎます。どれもやりたくないです(笑)

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リレーというものを泳ぐ機会は高校の時からありましたが、Aチームとして具体的な目標に向かって泳いだのは大学3年生の時の2継が初めてでした。その時はAチームに入れた嬉しさ、入賞して僕の主将であった横井さんに賞状をという気持ち、色々あって夢中だったような気がします。
ですが翌年からリレーは苦しいものになりました。
失敗が自分だけのものではないということ、一メンバーとしての重圧、大学の名を背負って出場することの責任が、身に迫って来るようになりました。
しかしそれは産みの苦しみで、招集所での高揚感と恐怖、入場して円陣を組むときの胸の高鳴り、仲間が泳いでいる間の祈るような気持ち、それらがないまぜになって白くなって飛び込んで、4人で結果を出せたときの達成感と喜び。苦しみの先にそういうものがあるということが、リレーの価値であるようにも思います。


今年は初めて、MRもFRもこれまでと同じメンバーで泳ぐことになりました。
僕に競泳というものを強力に提示してくれた男。
自分の代の1年生で、僕に連なって主将になるという男。
はっきり言わなくても、互いに負けたくないと思って競ってきたであろう男。
最も苦楽を共にしてきた男。
僕はこのチームの1人であることを誇りとして、臨みたいと思います。

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さて話は前後しますが5年生の夏が終わり、最高学年になればいよいよ天下統一を目前にした僕は、部活への恩返しのために何をするべきなのかもう一度考えました。
思えば僕は2コースとかで泳いでいた頃は反対側の方のコースで泳いでいる人たちをみて、練習中に「遠いな…」と感じていました。それに自分が試合で泳いでも点数になるわけでもないし、卑屈になったり醒めたりしていたわけではないですが、速い人と自分との差、隔たりを感じていました。ですが自分がその「向こう側のひと」の立場になってみると、昔感じていたほど遠くはないと思うようになりました。みんなで集まって部活をして、そのみんながいることが、自分が続ける理由のひとつでもあったからです。上は上、下は下、みたいな雰囲気だったら、ここまで続けて来ませんでした。だから、そういうバックグラウンドを持つ僕に今年、出来ることは何かを考えてきました。ま考えるだけ考えてあまり行動に移さないのが僕の悪癖なので、うまくいかなかったこともありましたけど(苦笑)
それでも一応、声を張ったり、技術的なことを教えたり、経験上言えそうなことをアドバイスしてみたり、僕が部活を通じて教えてもらったことを有形であれ無形であれ伝えられるようにと、もちろんできなかったことも少なくなかったけど、思っていました。
僕が参加することで、他の人の苦しいことが0.9倍、楽しいことが1.2倍になればいいなと。
でもそれは1人1人が持っている力なのであって、それが掛け合わされて、1人では出来ないこともできるし、1人でやるよりずっと楽しいというところに、部活の価値があるように思います。僕は以前、「部員1人1人はいてもいなくても人数的には変わらないかも知れないが、その1人1人が集まってこの部活というものは成り立っている」と書いたことがありました。我ながら良いこと言ったもんです。
何が言いたいかというと、6年生がこれだけしてるんだからみんな頼むよということです笑。
ま冗談は置いといても、今になり思うのは、部活として、横市医水という1つのチームとして、最高の夏にしたいということです。


さていよいよ僕も本当の引退です。2年前に長野で「幹部になるときに頭にあったのは『引退』の2文字だった」という話をしたのを覚えている人もいるかも知れませんが、今頭にあるのは「実感がわかない」の2文字です。それでもやはり、自分が好きでずっと続けてきたことがもう終わると思うと寂しくもあります。
東医体では4年生の時と同じ100mFrと800mFr、3つのリレーを泳ぎます。
どれもやりたくないのは、終わって欲しくないから。
でも僕の地味に短くない水泳歴は、この夏で一区切りです。高校で水泳を始めるときに買って今やぼろきれと化した僕のセームも、ここでお役御免にしようと思っています(神奈川医療でどこに置いたかわからなくなったときに、見かけてないか聞いて回ったら「いやぁあれは誰もとって行かないっすよ(笑)」といわれのないdisを受けてしまいました…悲しいです)。
そして「感謝」の2文字です。
冒述のシャビの退団ですが、6racies Xaviで検索するとその時のバナーがでてきます(graciesは”ありがとう”、6はシャビの背番号です)。これを僕は、自分からみんなへの感謝として、自分の学年とかけて部誌のページに載せました。一見手抜きに見えますが、この画像を加工するのに結構時間がかかりました笑。
僕をここまで導いて下さった先輩方、僕の背中を押してくれた後輩たち、そして共に来たりし同期。その人たちへの感謝とともに、僕は終わります。


6年生ともなれば、全てのことが「最後にもう一度」になります。皆さんと語らう機会は、この先いくらでもあるでしょう。でもこうして部活をできる機会は、もう来ません。だから最後にもう一度、最高の思いがしたい。皆にとっても、最高の夏になればいいと思います。

僕らはひとつのチームです。最後まで、駆け抜けていきましょう。