医水民の日常

横浜市立大学医学部水泳部のブログです。

プールから見上げる応援席

こんばんは。レア度ピカチュウくらいの荻窪です。すみません、夜行性をここでも発揮してしまいました…お待たせいたしました。

始まったばかりの六年生ブログリレーですが、早いかな、私で終わりです(笑)レア度ミュウツーのNGM兄さんのお言葉は東医体後のミーティングまでお預けです。こうご期待^^

まず、看護大会本当にお疲れ様でした。今年引退となる看護三年生のみんなは、一年生の時からプールに咲く花のように明るく、いつも私は癒しをもらうかわいい存在だったけど、その彼女たちがこんなにも頼もしく、そして部員から愛されている存在であることに改めて感動しました。三年生を想う二年生、一年生の皆のやさしさにも胸をうたれました。大会前のサプライズのセームのプレゼントは本当に素敵だったし、その後の三年生から後輩への愛情あふれるお手紙のお返しにもびっくりしました。ここまでの信頼関係を培う看護の部員のみんなを、私は遠くから眺めて幸せにひたっておりました。まるでおばあちゃんですね。”I am your grandmother”…(笑)

さてさて、東医体直前という大切な時期にブログの更新の機会をいただいてしまい、練習にほとんど参加していなかった私としてはとても恐縮なのですが…そして、なんだか情けない内容になってしまったことを先にお詫びしておきます。ごめんなさい。

ではでは…まいまいにならって私も自己紹介から始めようと思います。
私が水泳部に入ったのは一年生の秋、東医体が終わってからでした。前の部活は勉強との両立が難しそうでやめてしまいましたが、小さい時から運動で唯一得意だった水泳を急に再開したくなり、小学校の時から数えて七年ぶりにプールにつかることにしました。
「なんかかっこいい」
「競争相手が少なそう」
なんだか邪道な理由もありましたが(笑)、入部後からBtを専門としてがんばることに決めました。二年生の東医体で50mBtを泳ぎすっかり調子に乗った私は、「来年は100mBtを泳ぎます!」と青い宣言してしまいました。
「え、荻窪Bt専門なのにMain Frで泳ぐの?(^q^)」
先輩方の愛の鞭のおかげで、三年生からは練習でBtを泳ぐ比重が増え、試合では少しずつ結果を伸ばすことができました。思い返せば、部活LIFEの中でもっとも体力的にきつかった期間だったけれど、日々の練習の達成感とタイムが伸びる充実感で、私は生き生きと過ごしていたように思います。いつもMainを泳ぎ切るのは一番最後だったし、合宿のpoint diveでは1時間近く皆さんに応援させてしまいましたが、応援してもらった時間というのは本当にかけがえのないもので、試合でBtを泳ぎ終わる度、嬉しさにふっと泣きたくなる気持ちが込み上げていたのが懐かしく感じます。
しかしこのころ、実はいくら練習でBtを泳いでも、試合のたび100mBtを泳ぎ切れないのではないか、という不安は全くぬぐえませんでした。下手な割に練習におけるBtの比重が増えて行ったため、飲水と窒息の頻度が増したからかな(笑)長水路で、1000人だか2000人だかわかんないけど東医体の大観衆の前で、Btで100mをなんとしても泳がなくてはならないプレッシャーは私にとってはとても大きいものでした。
三年生の時の東医体のことは、行きのバスで「泳げ!マンボウ」という、せっかく育てたマンボウが割とささいな理由で死んでしまう(魚の骨がのどにひっかかったとか)悲しい育成ゲームでマンボウを水族館の主にまで育て上げていたことは覚えているんだけど、それから100mBtを泳ぐまでの記憶、つまり前日練習と大会一日目の記憶が全くないという驚愕の事実に先日気づきました。チキンすぎるね。
100mBtを泳ぐ直前に気が付いたのは、プールに聞こえてきた横市の部員の声援でした。あ、こんなに応援してくれてるんだ。「まどさーん」って聞こえる。そうだ、今までつらかった練習の時も試合の時も、この応援を受けて私は泳ぎ切ってきた。もう泳ぐしかない。そう、いつも通り泳ぐだけ。いつも通りに泳ぐだけ―――――。そうして100mBtを泳ぎ切った後、飛び込み台につかまりながら応援席を振り返ったときに見た、メガホンを振って声援を送ってくれる部員の皆の姿は忘れません。ベストが出たこともうれしかったけど、なにより応援してくれていた仲間がいたことが嬉しかった。溺れたしゃくとり虫のような私のBtでも、見ていて応援してくれる人がいてくれたことが幸せで、涙の出るほどうれしかった。プールから見上げる応援席の景色は、私の医水の思い出の中でも本当に素敵な景色でした。

三年生の東医体が終わってからもBtは続けるつもりでしたが、幹部学年となり、思った以上に自分にキャパがなかった私には、Btをおよぐ余力は残っていませんでした。達成感の次に湧いてきたのはとても情けない気持ちを引きずっていたら、やってしまった。

泳法違反\(^o^)/わお

四年生の新人戦の100mBtで、途中水を飲んでとっさにBrのようにかいてしまったんですな。お情けで泳法違反はとられなかったけど、いつもの「泳ぎ切れないんじゃないか」という不安が的中してしまい、すっかりトラウマとなってしまいました。

こんな敗北の歴史を重ねてしまい、なんだか情けない主将でしたが、そんな私でも部活を続けられたのは、部員の皆さまにずっと支えられてきたからだと思います。ちょうど私が幹部の時、かな子は「まどかさーん!」といつも明るく抱き着いてきてくれました。いまでもそうだね(笑)まだ新入生が少なかった中不安だったと思うのに、ほかの一年生を励ましながら一年生メニューに取り組む姿を見て、やさしさと強さを感じた。黒髪に黒縁眼鏡がトレードマークだった千夏は、入るや否やどんどん速くなり、明るいおしゃべりで更衣室での会話を楽しいものにしてくれた。あやちゃんははじめ、頭痛に苦しんだ日もあったけれど、笑顔を忘れず、一つ一つの動き、フォームを丁寧にこなす細やかさで、一年生メニューをこなすうちどんどん速くなった。マネさんとして入部してきてくれたゆみちゃんは、たった一人だったのに一年生の時から頼もしく、強さと柔軟さを感じた。そして、レセプでの活躍を見て、さらなる強さを感じた(笑) 私が引退したあとに入ってくれたあっきーは、覚えるべき部員の名前が多くて大変だっただろうに、私の名前をすぐに憶えてくれた。部活にいく度いろんな話をしてくれたし、一緒にごはんを食べる約束もした。
このころから、薫も上座に一緒に座るようになったのかなと思います。最初は不安だったと思うけれど、柔らかいやさしさと笑顔で話しかけてくれる薫に、上座にいても同じコースで泳いでいても、私は何度も安心感をもらった。同じコースで泳いだもう一人の現医四といえば倉掛君。「今日のメニュー、きつかった?」「いやー、なんかジョギングみたいな感じでおわりました(サラッ)」という爽やかさに圧倒されたけど(笑)、自分の感情を表に出さず、淡々と義務をこなしていく姿は本当に頼もしく思えた。いつも明るく振舞いながらも自分に厳しい北堀は、責任感もとても強かった。自分では「ガラスのハートなんで」って言っていたけど、優しすぎるくらい他者に温かくふるまう彼に、強さを感じた。のぶりんは、私はほかのサークルでもとてもお世話になりました。いつも周りをよく見ていて、人の気持ちの敏感な揺れも繊細に感じ取りながら、いつも笑顔で話してくれた。実家が近所だったのでよく一緒に帰ったZAKIは、文武両道を身をもって示しながら、私の雑なボケでもいつも丁寧に回収してくれた(笑) 水泳の話をするたび、はにかみ笑顔に秘めた情熱に驚かされた。高校の後輩ということあって気の置けない友人・瞳は、私のつらかった時を察して、私ととことん話す時間を作ってくれた。自分よりもずっとしっかりしていて、物事の本質を見据えている人なんだろうなと思った。泳げなかったところから水泳部に入部した千明ちゃんは、メニューについていくのだけで本当に大変だったと思うのに、弱音の一つもはかず淡々と練習をこなしながら、さらりと何気なく、でも優しい(ときには不思議な)一声をかけてくれた。実は私の幹部時代最初の入部者であるマツカナは、入部した時からとてもまじめでしっかりしていて、凛としたひたむきさを感じた。「やばいやばいやばい!」が彼女の口癖であることはほどなくしてわかったけれど(笑)、先日、水泳部に入部して本当によかったと話してくれたときは、胸があつくなるほどうれしかった。

情けない裏話になってしまってすみません。人には全く自慢できない仕上がりの私ですが、水泳部をやめず六年生まで続けられて、こんなによい出会いに恵まれたことは、私の一生の財産だと思います。

看護大会前の練習でもお話があったけれど、私たちは水泳選手になるわけじゃありません。水泳という競技の楽しさ、美しさ、すばらしさを共有する人同士で、切磋琢磨しながら、水泳における自己実現を互いに称えあう、そういう人の集まりが医水なんじゃないかと思います。だから、モチベーションは違っていいし、泳ぐ力だって違っていい。むしろその多様さがあるから、水泳という一つのスポーツを通してだけでも何十通りもの考え方を知ることができる。日本を代表できるようなかっこいい記録は出せないけれど、みんなで練習するとなぜだか長い時間、長い距離頑張れたり、頑張っている仲間がいれば全力で応援したくなったり、力を出せないでいる仲間がいれば寄り添いたくなったりする、そういう小さいけれどとても大切な関係を培えるのが、部活という人の集まりの単位なんだと思います。

さてさて。トラウマを抱えてしまった四年生の私はどうしたかというと、ほかの部員があまり泳がない競技を泳ぐことは部にとってなにか良い影響になるかもしれないと思い、東医体では200mFrと400mFrを泳ぎました。心のお守りにしていた、"Keep calm and carry on"(イギリスの国民的な励ましの言葉だそうです)という言葉を胸に泳ぎ、その年も泳ぎ終わったとき、プールから応援席を振り返りました。

今年も東医体で泳ぐ機会をいただけたので、現役時代に泳いだものを泳ごうと思い、個人では400mFrにエントリーしました。リレーは、200mMRのBtと、200mFRのAチームで泳がせていただきます。プールから見上げる応援席の景色が最後になると思うと、なんだか急に寂しくなってきました。でも、今年の会場がアクアウィングで、なんだか運命を感じます。私が三年生の時に見た景色と同じだから。

もし泳ぐ直前、自分に自信がなくなりそうだったら、応援席を見上げてください。そして、もしよかったら、泳ぎ終わったときには応援席を振り返ってみてください。皆さんには、部員全員がついています。
皆さんの努力が実を結び、達成感に包まれて、そして健やかな心持で、大会をおえることができますように。
そして、大会後にはみんなでおいしいお酒が飲めますように(笑)