医水民の日常

横浜市立大学医学部水泳部のブログです。

好きな動物はうさぎちゃん

今朝、目を覚ましてiPhoneを手に取ると、小林というクラスメイトからラインがきていました。寝ぼけ眼に通知を開きました。健全な人間が活動していると到底思えない午前3時半台の時間表示とともに表れたメッセージたるや、「次ブログおねがい 大明神」

そんなわけで、お久しぶりです。大明神です。
・・・大明神って、何? 以下引用。

デジタル大辞泉の解説
だい‐みょうじん 〔‐ミヤウジン〕 【大明神】
1 神号の一。神名の下につけ、明神をさらに尊んでいう称。「稲荷(いなり)―」
2 人名・事物名などの下につけ、それを神に見立て、強い願望や祈念を表す。親しみをこめたからかいの意で用いられることもある。「かかあ―」

ほほぉ。神様に見立てられたわけですか。アルパカの夢の中へ出張したわたしはどうやら相当おこだったみたいですね。おっと、あの記事を読んでかわいい後輩ちゃん達が誤解するといけませんよね。きついこと言うどころか、わたしはとっっても優しいおねえさんですからね。元主将の人が書いたとかいう権威になびかないでね。ふふ(^^) それはそうと、夢の世界の木下が放った謎の四文字が何なのかとても気になりませんか。

アルパカといえば、幹部の間で一時、幹部メンバーのイメージ動物を考える遊びが流行りました。たくおくんがアルパカなのは自明として、南雲はオオカミ、ゆり子ははりねずみとかだったかな。飲み会の席だったためちょっと全員は覚えてないのですが、確か柚季とわたしはうさぎちゃんだったと思います。柚季はいかにも雰囲気うさぎちゃんって感じがしますよね。そのくせ全然似てないんだけどなんでわたしがうさぎを好きかって、一応理由があるんです。話は遡ること受験生の頃。大学に受かるかどうかわからない、もう後がないと戦々恐々としていた時代。合格へ向けたとっておきの戦略として、問題集やノートやプリントの隅っこにうさぎのイラストを描いて「がんばれ!」などと吹き出しから言わせることにより自身を鼓舞しておりました。とりわけ力説するような好きの理由はないけれど、あの長い耳の形が妙につぼなんですよね。予備校の先生からもうさぎの合格祈願のお守りをもらったり、うさぎのぬいぐるみやタオルを受験会場に持ち込んだり、もはやある種願掛けの域でした。果たしてうさぎが功を奏したのかは分かりませんが、実際こうやって大学生になれていますからね。数年経った今でもシケプリ等にうさぎを落書きする習性は残っているし、売り場に動物のモチーフの商品が複数あったときにどれを選ぶかといえばやっぱりうさぎを選ぶのです。いい歳こいてるのにね笑。うさぎは戦友なのです。毎年部誌の自己紹介ページにうさぎのイラストを載せるのはこだわりがあってのことでした。もちろん次の部誌でもその次の部誌でもうさぎを載せます。実家で飼ってるのはわんちゃんだけど、いつかうさぎも飼いたいなぁ。

医学科の2年生以上は休みも残りわずかですね。夏休み中にわが身で起きたショックな事件は、行きつけの美容院で「きみはパーマかけたら髪が ち ぎ れ る よ」と宣告されたことです。なんだって・・?!ゆるふわ系女子をめざそうと常日頃燃えていた矢先。元来細毛猫っ毛癖っ毛のわたしの髪を触るなり、「巷にはさぁ〜商売だからって、女の子の髪質とかちゃんと見ないでパーマかけちゃうスタイリストもいるんだけど、俺ならちゃんとNGだすわけ。あっ昔ね。別の美容院で施術受けて髪がちりちりになっちゃった女の子に泣きつかれてぇ略」といったような話をし始める美容師。至極まっとうな事を言ってるんでしょうけど、いやこっちは聞いてないし。もう何がなえたかって、部活終わったらパーマかけてやる!的な女子の野望をずっと持っていて、もはやパーマをかけることに向かって部活を頑張ったといっても過言でないというほどだったのに、それをチャラ美容師にあっさり一蹴されてしまったことですよ。とどのつまりわたしの毛質はパーマに不向きと診断されたのです。パーマは断念しました。とても悲しい。パーマ事件以外は、スマホiPhoneに機種変したり、千葉の渓谷まで青春18きっぷでぶらり旅したり、花火を見に行ったり、医師会に潜り込んだり、マイメロちゃんのクリアファイルをしこたま買い込んだりとか、そんな感じのいたって平凡な休みでした。去年のこの時期も似たような記事を書いたような。JDらしいかしら。

ここまで水泳と全く関係のない内容になりました。そうそう水泳ですよ。みなさん先日のパンパシはご覧になりましたか。今回の日本チームは本当にすばらしかったですね。自分と同じか少し下の世代の選手が奮闘している姿をみると、ついテレビの前で応援に熱が入ってしまいますね。ついこの間まで自分たちが大会の場にいたこともあって余計に、ですね。
看護大会、東医体ではつたないツアーガイドにお付き合いいただきありがとうございました。やっていた本人は遠足気分で楽しかったです。この部活で企画させてもらったのは去年のGW旅行から2回目だったんですが、旅行の幹事って楽しいですよ。バスの運転手さんと仲良くなれますしね。そういえば大会期間中は喉をつぶしまして、お聞き苦しい声で申しわけなかったです。東医体の翌々日くらいにはすっかり治りました。声だしの副産物であって、けっして酒やけではありませんでした。
自分語りをしすぎると痛いのは承知の上ですが、せっかくブログを執筆する機会をいただいたので、水泳との思い出を個人的なスペックを交えつつ書こうと思います。先ず基礎体力面。情けないことにわたしは小学生中学生まで体が弱く、しょっちゅう風邪をひくし、通学電車では立ちくらみで倒れるし、体育祭の後は高熱を出して4日も学校を休むし、ランニングすればあまりにへばって体育の先生に休みなさいと止められたものです。水泳は大学から始めた上、持続的な運動経験はほぼ皆無、体力もまったくなくて、入部当初は1コースのメニューすら満足にこなせていませんでした。最初に水泳部にきたときは、幼少期のコンプレックスがあったせいか、上のコースの泳げる人たちに対して変に怖気付いていました。同期の荒木や未来の話題になって「速い1年生いるよ」なんて噂を聞くだけで、次元が違いすぎてわたしなんかが同じ部活にいていいのかとびくびくしました。振り返るとそんなの杞憂でまったくびびる必要なかったんですけどね。とにかく1年目の夏までは、全然練習に慣れず本当にきつかったです。おまけにきつい環境に対する耐性も無かったものだから、心が折れて何度も逃げ出したくなりました。皆に泳ぎを見られるDive DashやBrokenなんかはまったく気が向かなくて、Hard練の予告があるたびに、あー嫌だな。なんでわざわざキツい思いしてまでそんな練習やんなきゃいけないのかな、なんてぼやきたくなりました。今思えばそれは本当に生意気で傲慢なことで、メニューを作ってくださる方やタイムを取ってくれるマネさんに対して感謝する余裕なんて持っていませんでしたね。
そんなふうにして、しばらくは受け身の態度でだらりと過ごしていました。転機は1年生の冬くらいでしたかね。いつだったか、練習でふとまわりを見渡したとき、プールサイドの端から端に届くくらいの応援をする人がいることに気付いたんです。それも一人じゃなく、何人も。それまでは自分が泳ぐことに必死で、他の人がいつもどんなことに気を配ってくれているのかなんて気付こうともしなかった。コースがどこだとか自分がしんどいだとか関係なく、スイマーが声をだしてマネさんが声をだしているあの練習風景。うまく言葉にできないけど、応援すること、応援されることの威力って、すごいかもしれない。わたしはもしかしてすごい部活に入っちゃったんだな、って。そのうち水泳部に所属していることで色んな面で自信がつき、医水の一部員であるということに誇りを持てるようになりました。いつの間やら練習自体にも慣れ、たくさんの後輩ができ、学年が上がり、いろんな役回りを経験させてもらって、そして、こうして幹部としての務めを終えて。受け身の自分からは卒業できたかなと思います。東医体のミーティングで言及したことですが、平部員のわたし一人でも、ほんの少し態度で示すことで、周りにいい影響が波及したらいいなと。かつての自分が変われたように。そんな心持ちで部活生活を過ごしてきましたね。体操の声出しも、メニュー説明のときの返事も、メインの最後の掛け声も、一言一言、思いをこめながら声を出していたつもりでした。うーん、少しはみんなに伝わってたかしら。

わたしたちは大学生であり、一つのことだけやっていればいいわけじゃありません。有限な時間の中で部活をやるという選択をするのは、同時に他の何かを選ばないということにもなるんだなって、ぼんやりと考えたこともあります。そんなことも頭によぎりつつ、わたしがこのコミュニティに居続けたいと思えたのは、何より部員皆さんの存在が大きいです。惜しみない熱意と愛情を以て、部活に心血を捧げる同期がいて。この人の背中を追いかけたい!と本気で思わせてくれる先輩がいて。もっとしっかりしなきゃ、と自身の姿勢を問い正すきっかけをくれる後輩がいて。全てのことはみんながいたからできたんです。まぁなんやかんや時にはすれ違いもありますよね。でもそれは集団で1つのことをやるときの醍醐味で、部活をやる意味そのものなんだと思います。みんなが同じだったらつまらない。一人一人の価値観は多様で、その下で人の違いを受け入れ、共有し、適応していく。面白い所じゃないかと思うんですよね。素直に練習の感想を言って周りを和ませてくれる下級生と、たまにピリッとしたことを言って場を締めてくれる上級生と、色んな人がいるから部活動という場を設ける意義があるのだと思います。綺麗ごとといわれたらそれまでですが、わたし自身はそんな部分をエンジョイしてやってきました。人とかかわり、お互いを励ましあい、高め合う。楽しくもありチャレンジでもありますね。
ぜひ、みんなで切磋琢磨して、部活をやってほしい。
自分の通ってきた道がありますから、特に1,2コース出身の子に親近感を覚えます。下のコースのみんなに、これからぜひぐぐいっとのびていってほしいなと思います。つまずいたら上のコースの人にコツを聞いてみてください。一方で、元々ある程度泳げる人たちは、見えている世界が少し違うと思います。自分の泳ぎに集中すると同時に、同じチームの他のスイマーへ何かを還元してあげてください。昔のわたしほど過剰に萎縮する人はいないにしても、色んなレベルの人が水泳を楽しんでほしい。大学入るまでひ弱だったけれど、3年半練習に出続けていれば、ベストタイムを縮められたし、長い距離を泳げるようになったし、それなりに練習コースも上がりました。最初は続けられればそれでいいやくらいの意識でしたが、そんな人間がいつの間にか毎回主将副将がアップしてくれる練習ノートや動画を見るのが楽しみになっていました。マネさんが作ってくれたarenaをノートに貼って、試合前に見返し自分なりに奮起していました。キツい練習メニューは皆で一緒にやるからこそ乗り越えられるんですよね。時にマネさんが休みだったり、いつも同じコースの人が居なかったりすると、なんとなく力が出ません。部員それぞれに泳力の違いや水に浸かっているかいないかの違いはあっても、わたしたちは「みんなで」泳いで、練習して、試合に参加しているんです。このことは、先日のメイン大会を通して全員が感じたことではないでしょうか。


現役部員のみんな。これからがんばってね。練習で人少ないなーって思っても、気持ちで負けずに、一生懸命おなかから声出すんだよ。先輩たちからは少し巣立って、幹部のみんなを筆頭に、自分たちのカラーで部活を動かしていってください。
いつでも、どこにいても。医水のみんなを応援しています。


以上、自称・ゆるふわ引退部員による日誌でした。次にみなさんに会うのはプール掃除か幹部交代式ですね。早くみんなの元気な姿を見たいなぁ。
次はあの子に書いてもらうことにしますー。