医水民の日常

横浜市立大学医学部水泳部のブログです。

 P E 先 生

さて3人目
約5年前、医学部水泳部に入部した桝井です。皆さん、体調などは万全でしょうか?

好きな平仮名は「し」です。書きやすいです。同じ理由で「く」も好きです。適当に書いてもだいたい読んでくれますから。


前二人のタイトルに当たるワードが僕にはないので、とりあえず自分の呼び名を考えてみて一番最初にぱっと思いついたのがあれでした。なんか悲しいもんです。
PEをまだ取れていない皆さん、頑張ってください。応援してます。


前の二人にならって、自己紹介をさせていただきます。
出身高校は開成高校です。望月くんも開成にいた時期があったらしいですが、なぜか見たことはないです。学年が違ったからだと信じています。
中学では、最初の1年は物理部に、中2から高2まで水泳部に所属していました。
水泳部といっても、競泳はほとんどやらずに、日本泳法とかいう超マイナーな泳ぎばかりを練習していました。以前日本泳法を全く知らない人が日本泳法の試合を見に来て、「鼻にツンとくる地味さ」との評価をいただきました。複雑な気持ちです。


大学に入り、最初のオリエンテーションで当時4年生の医水の先輩に引っ張っていかれたのが入部のきっかけです。競泳なんかあまりやってなかったので、当時は医水に入る気はあまりなかったんですが、見学(というか初めから泳いだ気がしますが)を2回くらいしたところで、その雰囲気や超コミュ障だった自分にも優しく接してくれた先輩方の人当たりの良さに惹かれて、入部を宣言したのを覚えています。

はじめの1ヶ月の練習はそれはもうきつかったです。2時間以上も競泳をやるなんて経験は今までなかったので、コースこそ4,5コースあたりをうろついていましたが、なかなか体力が持ちませんでした。
先輩方の指導やマネさんの練習中の声かけなどの助力のおかげで、徐々に体力もつき、タイムも伸びていきました。
初めての東医体は今でも鮮明に覚えています。最初の4混継でまさかのバタフライを泳いで死にそうになったこと、8継の直前に会ったこともないOBの先生となぜか電話で話して混乱したこと、先輩方の応援を全力で行ったこと、全てが高校の部活では味わえなかったことでした。


それ以降も様々なことがありました。
全学の試合にも参加させてもらったこともあったし、故障したこともありました。

3年の秋からは主将も努めました。仕事もできない、ロクに人もまとめられない、何かを伝える器用さも持たなかった自分でしたが、同じ幹部のみんな、先輩、後輩たちの助けもあって、なんとか1年間主将を努めました。
自分にもっと皆をまとめられる力があれば、もっと強い意志があれば、医水をより良いものにできたかもしれないと、今でも思うことがあります。


幹部引退後は、ただ内容もなく泳ぎに来ていただけになってしまいました。
そんな日々は今年に入ってからも続き、最高学年になってからも後輩の皆に情けない姿ばかり見せてきました。これではいけないと思ったときには、もう最後の試合まで日数もなく、どうしようもなく、途方に暮れ、せめてこれから試合までは、出られる時は練習に参加して出来る限りの準備をしてきました。
それでもこうして最後の試合直前を迎え、浮かび上がるのはもっとなにか出来たはず、もっと本気で打ち込めたはずと、やはり後悔ばかりです。


過ぎたことは取り戻すことはできません。しかし、今持っている力を出し切って、最後の大会を悔いのないモノにしたいという気持ちは、目標はそれぞれ違えど他の医6や、看4と同じだと思っています。


看護大会では400Fr、東医体では800Fr,100Fr,リレーで2継と8継を泳ぎます。
これまでお世話になった医水に、大好きな後輩たちに泳ぎで恩返しができるよう、全力を尽くします。


皆の泳ぎも全力で応援しながら目に焼き付けます。ずっと練習を試合を支えてくれたマネさんたちにも、本当に感謝しています。


みんなと一緒に試合に参加できることを心の底から幸せだと感じます。




シーズン最後にして最大の試合、張り切っていきましょう!